お金について考えることは、とても重要なことです。
それは、生きる意味にもつながってきます。
そもそも、お金とはなんなのでしょうか。
とても、たくさんの研究がされています。
お金については、様々な考えや経験を皆さんも持っているでしょう。
よって、「お金が何かの答えは、各人の心の中にある」といってもよいかもしれません。
ここでは、お金の歴史や機能について、考えてゆきます。
なぜなら、ビジネスや人生を考える際、お金についての認識はとても重要だからです。
基本的には、2つの考え方があります。
(1)物々交換の発展形
人類が生まれ、生活してゆく中で、最初は、狩猟や採集を通じて、自然の中から、食べられるものを得ていました。
恐らく、最初は、欲しいものは力で奪うという社会であったと想像されます。
その中で、ある人々は、それを平和に解決する方法を考え出しました。それが物々交換であったと思われます。
お互いにメリットを感じ、交換をすることで、争いをすることなく、欲しいものを手に入れるという社会。この形が、次第に人類のスタンダードとして定着していきました。
逆に言うと、欲しいもの力で奪うという文化・社会の人々は、物々交換を行う文化・社会の人々に駆逐されていったという事が出来るでしょう。なぜなら、後者の方が生存確率が高まり、かつ、複数の人が分業で仕事をできるので、組織としての力が高まります。そして組織になれば、自然の驚異への対抗策も考えやすく、さらに生き残る確率が高まります。
その後、下記のように、展開が進んだと考えられます。
大昔の人びとは、自分の物と他人の物とを交換して、欲しいものを手に入れていました。しかし、物々交換にはお互いの希望が容易に一致しないなどの難点がありました。
(2)収集・分配できて、誰もが納得できる値打ちの大きさを表現できるもの
物品貨幣は、その後、以下のような変化をたどったと考えられます。
時の経過とともに腐ってしまう食べ物や壊れやすい消耗品などは、通貨として不都合です。そこで、当初は、貝殻・石・布・米などが通貨として使われました。これを、物品貨幣といいます。
物品貨幣は、貨幣の素材によって、自然貨幣と商品貨幣に分けられます。
つぎに、布・米・家畜・穀物などが貨幣として使われるようになりました。商品そのものを貨幣として使ったため、商品貨幣と呼ばれています。
その後、商品貨幣は、持ち運びに不便であったことから、それが金属貨幣(金貨、銀貨、銅貨など)、紙幣へと変化してゆきます。
(2)商品の預かり証から紙幣経済への発展
商品貨幣から金属貨幣、紙幣へと変化してゆく中で、注目すべき現象が発生をしました。
詳しくは、「銀行(ウィキペディアより)」をお読みください。
ポイントを抜粋します。
・イギリスの場合、1650年代には個人銀行の業務がロンドンの商人たちにすでに受け入れられており
・彼らの主要な決済手段は金(ゴールド)であった。
・金所有者は、ロンドンでも一番頑丈な金庫を持つとされた金細工商ゴールドスミスに金を預けることにした。
・ゴールドスミスは金を預かる際に、預り証を金所有者に渡した(「金匠手形」)
・これは正貨の預金証書であったから、紙幣でありながら交換価値を持つことが出来た
・(所有者は)その預り証をそのまま取引に用いる(債権譲渡する)ことがあった。これは決済業務の起こりとなった
・ゴールドスミスは自分に預けられている金が常に一定量を下回らないことに気付いた
・ゴールドスミスは、この滞留資金を貸し出しても預金支払い不能にならない(破たんしない)と考えて運用するようになった
・このようにして発行され続けた預り証の総額は、金庫に保管された正貨の総額と比べて桁違いに多くなった
・これは信用創造であった
・やがてイギリス全土に同業者が現れ
・ドイツやオランダから商人たちが流入し決済業務を開始
・当初はそれぞれが国王から独自に特許を取り預り証を発行していた
・市場には多種多様な紙幣が流通していた
・また、金融業者が結託して敵対する金融機関の預り証(銀行券)を蒐集し、これを一度に持ち込み正貨の払い戻しを要求して破たんさせるという手口がよく行われた
・そこで1844年のピール条例により、イングランド銀行(イギリスの中央銀行)以外での銀行券の発行が禁止された
・中央銀行以外は商売替えを迫られて、預り証を金融仲介する貯蓄銀行あるいは商業銀行として発展した
もともと、金の預かりを行っていた企業の預かり証が、貨幣通貨に繋がり、その貨幣の信用を中央銀行が保証する仕組みができ、現在に至るという事になります。
下記の記事も、面白いので、ぜひ一度お読みください。
(3)結論
これまで述べてきたように、お金というものは、長い歴史の中で、その姿やあり方を変えながら、「交換」の為に、存在してきました。
しかし、これまでの理論は、あくまで、お金の存在をお金に焦点を絞って論じてきたにすぎません。
お金を使う立場になったときは、どうでしょうか。
それを考えてみます。
お金の歴史で見てきたように、人々は、いついかなる時でも、共通の価値観で物やサービスとの交換ができる「お金」を便利なので使ってきました。
そして、いつの間にか、世界中がお金を使っているという事は、「お金を使う社会」に「お金を使わない社会」が駆逐されたという事が言えるでしょう。
もともと、アメリカのネイティブインディアンやモンゴルの遊牧民等、お金を使わずに生活をしていたコミュニティは、多くありました。
現在、それらは貨幣経済に取り込まれています。
つまり、貨幣を使う社会の方が、強かったという事になります。
しかし、強いという事は、すなわち良い事とイコールではありません。
自然との共存やお金以外の価値観を重要視する社会も魅力的です。
誰にとって、どのような社会が良いかを決める事は、個人の自由であり、他人ではありません。
が、現実を見る限りでは、貨幣経済社会を選択している人(選択せざるを得ない人も含めて)が多いというのが今の世界です。
では、「お金」のある社会の何がそんなに魅力的なのでしょうか。
それは、「自由」と「選択」でありと私は考えています。
お金は、選挙の投票権に似ています。
我々は、お金という投票権を、日々、何かの消費活動に投票しています。
日々、選択して、お金を使うという事は、自分が残ってほしいというサービスや商品に投票をすることと同じ意味です。
結果、人類の大多数が支持するものが残り、支持しないものは消えてゆきます。
世の中には、お金を「手段」として考える人と、「目的」として考える人がいます。
前者は、お金を使う事に興味があり、後者は貯めることに興味があります。
どちらでも構いません。
いろいろな人、考え方があってよいのです。
ただし、個人的な意見としては「お金の奴隷」にだけには、なってはいけないと思います。
「お金の奴隷」とはどういう人でしょうか。
・お金を得るためであれば、なんでもやっていいと思う人
・お金を持っている人をねたむ人
・いつももっとお金があればいいと思う人
・お金がない自分を否定する人
・他人のお金を自分の物にしたいといつも考えている人
そうした人が、ある日、法を犯し、自分の欲求を行動に移したとき。
そして然るべき機関にそれが判明した時。
社会は、その人に対し、報復を行います。
しかし、自分の人生を破壊する権利も、各人は、持っていると言えます。
よって、そうした人の存在を否定することはできず、共存してゆくしかないのかもしれません。
いずれにせよ、どんなお金持ちでも、お金という投票権は有限です。
有限な投票権を、何に投票するか。
それを楽しむ心の余裕を持ちたいものです。